らぴすの日記

 
 
 
しがない女子大学院生のぐだぐだ日記。 有益な情報は皆無です。 ゆるゆる更新します。期待しないでね! 
 
 
 
 

ハウス加賀谷ロングインタビュー

ハウス加賀谷ロングインタビュー
「ハウス加賀谷のお薬の時間です」


ハウス加賀谷。
私が中学くらいのときに、お笑いブームでボキャ天とか電波少年とかによく出ていて、壊れキャラと素になったときのどこか善良そうな感じのギャップが大好きだったんですけど、この人統合失調症なんですね。そのことを知って、私の中でより思い入れの強い芸人さんになってしまった彼。インタビューではかなりヘヴィな話を明るくさらりと話していて、読んでいてなんだか目頭が熱くなってしまいました。

こういう愛されるキャラの患者がもっと世に出て語ってくれたら、多くの人に統合失調症という病気も身近に感じてもらえていいのになと思います。インタビューによればぼちぼち芸能界に復帰するようなので、これからの活躍がすごく楽しみです。

ところでこの人、パンクもやるんですね。作詞とかするのかな。ちょっと興味あるな。
  06:21 | 未分類 | Trackback:1 | Comment:2 | Top
 
 
 
 

リリイ・シュシュのすべて

小説なんて今まであまり興味が無かったのに、最近、いまさら青春小説にハマっています。村上龍の「69」とか、金城一紀の「GO」とか…「セブンイヤーズインチベット」とか読んでた私はいったいどこ行ったwww
元気がありあまっている年代の男の子のバカ話は癒されます。

今週末の従姉の結婚式のために、明日の5コマの授業が終わったら速攻で福島に帰省するのですが、今読んでいるのが、ブックオフで購入した大槻ケンヂの「グミ・チョコレート・パイン(グミ編)」というこっぱずかしいタイトルの一冊。中身もタイトルに負けず劣らず、これまたこっぱずかしい内容。読みかけなのでこれが今回の帰省のお供になりそうなのだけれど、恥ずかしいからカバーかけました。でもイトコどもは私が本を読んでいると、自分らは本になんて興味ないくせに中身まで覗いてくるんだよなorz
持って行くのはやっぱ違う本にしとこうか。

これは青春小説と言っていいのか解らないけれど、最近読んだ中では「リリイ・シュシュのすべて」が面白かった。私は当時はぜんぜん注目していなかったのだけれど、この作品は2001年ごろにカルト的人気を博していたらしい。
いまさら、小説を読んだ勢いで映画まで観てしまった。

ネットというバーチャルリアリティの世界、家庭、学校、自分の想念の世界。「エーテル」の世界。
リリイ・シュシュというカリスマ的歌姫の音楽とともに主人公たちが生きる、何重にも重なる世界。さらに、映画版と小説版では、話が少し違っていてパラレルワールドみたい。どこか謎解きのようなストーリー。リアルがどこにあるのか解らない。リリイ・シュシュが架空の歌姫であることまで、深みを感じさせるような内容だ。
ネタばれになるがリリイ・シュシュは、映画・小説ともに、物語を通して生身の人間としては一度も出てこない。なのに、タイトルが「リリイ・シュシュのすべて」。主人公にとってリリイ・シュシュが現実的な救いにならなかったこの物語のタイトルがこれというのが、妙に重いし空虚でもある。
映画の方では、その何重にも重なる世界の描写が上手くてひき込まれた。文字で表現されるネットの書き込み、音楽、詞、映像のそれぞれの流れが伏線となっている。情報を意図的に減らしたりし前後させたりして深読みさせるようなシーンも多くて面白い。特に蒼井優の演じる津田詩織がいい。音楽も映像もとてもきれい。

でも好き嫌いが分かれる映画だと思う。うちの彼氏と観ていたのだけれど、これ、どこが面白い?と一蹴されてしまった。そんな言い方しなくても(´・ω・`)

物語の随所に挿入されている詞もなかなかいい。情念じゃなくて感覚を歌詞にしている感じが。映画ではSalyuがリリイの歌を歌っているのだけど、良い。サントラ借りてこようかなあ。
  00:31 | 未分類 | Trackback:0 | Comment:1 | Top
 
 
 
 

子供の嘘について

母親が小学生の娘の顔をカッターで切り裂くという事件があった。娘が嘘をついたのでしつけとしてのことだったのだという。
この事件の場合、娘は日常的に虐待されていたのだろうから、怯えて自分の身を守るために余計沢山嘘もついていたのではないだろうか。相手が大人では簡単に誤魔化せないことも判っている上で。本当に可哀想だ。

私には、子供が嘘をついたから叱るというのが理解できない。親が、子供が自分に嘘をついたことを理由に子供を制裁する。社会のルールではなく親のローカルルールで許す許さないの裁きを与える。おかしいと思う。

親に隠したいことが何もないというのも不自然だし、嘘は自分を守るための知恵だ。むしろ人並みに嘘もつけない方が社会的に問題のような気もすると、バカ正直に育ってしまった私は思ったりする。どうせ子供の嘘なんて見破れる。それだけで十分じゃないか。

その嘘が社会的に支障をきたす嘘の場合でも、子供自身が自分で学ぶと思うので、それでいいだろう。日常的な些細な嘘を暴き子供の領域を全て掌握しようとするのはどうかと思う。他人を騙して利用するような嘘でさえ、本人の処世術になるならアリのような気さえする。

そんな考えを彼に言ったら、そこまでの考え方はマイナーすぎて付いていけない、不安だ、とばっさり切り捨てられてしまった。私は人の親に成るには不適合者だろうか。別にいいけど。
  11:45 | 未分類 | Trackback:0 | Comment:3 | Top
 
 
 
 

父親のこと

親に限らず身近な他人のことをあまり悪くは言いたくないのだが、どう贔屓目に見ても私の父親は頭が悪い。私を、他の人よりお金も手も時間もかかる私のことを、これまで何不自由なく養ってくれたことには、もちろん感謝している。父親は、表面的にはいつも寛容だ。だけど父親はおそらく、一生私のことを感覚的には理解しない。悪い人ではないのだが、私とは感性も合わないので、話がいつも噛み合わない。しかし父親は頭が悪いので、私たちの話が噛み合っていないことにまったく気づいていない。

それでも子供のころから一緒に暮らしていたならば、多少慣れるだろうし、情も湧くのだろうが、うちの場合ずっと離れて暮らしていたので、残念なことにあまり思い入れも無い。父親が死んでも多分、喪失感は無いと思う。残るのは、私が生きてきた上でお金がたくさんかかったことに対する罪悪感だけのような気がする。

父親は、私が1歳のときに離婚している。私は、母親のことはまったく覚えていない。母親の映っている写真はすべて隠されていたし、母親に会った事もないし、そういう話が出たこともなかった。父親はいつも、誰も訊ねてもいないのに、しのぶはお父さんのオチンチンから生まれてきたんだ、と笑って繰り返した。幼心にすごく気持ちが悪かった。私は親戚の家で育ったが、親戚全員が、私の母親の話題には一度も触れなかった。親戚中の話し合いの結果そうすることにしたのか、暗黙のタブーでそうなっていたのかは解らない。どのみち父親本人は純粋に、そうすることが私のためだと思っていたのだろう。けれど、本当は自分が辛かったというのもあるんじゃないかと思う。

父親は、金銭感覚が破綻している。
小学校一年生のとき、いとこがオバQのおもちゃのカメラで自分で写真を撮っているのが羨ましくて、一学期の通信簿がオール5だったら自分にもカメラを買って欲しい、と父親にねだった。父親は、カメラを買ってくれると約束してくれた。一学期の終了式、私がめでたくオール5を取れたのを見て、父親はカメラを買ってきてくれた。しかしそのカメラは、6万7千円もする、本物の、しかも相当高級なカメラだった。その値段に私は怖くなって、それ以来、物をねだることを一切しなくなった。

父親は欲しいと言っていない物もよく買ってくれた。私のためじゃなく、ほとんど気まぐれと自己満足だ。小学校四年の春、ちょうど私の誕生日で日曜日だったのだが、父親と園芸店に入った私はコチョウランを見ていた。家にあった園芸図鑑に載っているのを見たことはあったのだが、本物を見るのは初めてで、花弁の模様が蝶の羽みたいで気持ち悪いな、とぼんやり思っていた。私がコチョウランを見ていることに気づいた父親は、誕生日プレゼントに買ってあげると言い出した。コチョウランは高い。その鉢植えは6000円だった。子供の私には、そんなに高い値段で植物を買うなんて信じられなかったし、園芸図鑑が好きでコチョウランの栽培が難しいことだけは知っていた私は、要らない、と必死で言った。しかし父親のほうはもうノリノリで、いいからいいから、買ってやるから育ててみたらいいじゃん、と、一人でとても嬉しそうだった。育てられないし高いから要らない、と何度も言ったけれど聞いてくれず、勝手にレジに持って行って、買ってしまった。私はぜんぜん嬉しくなかった。仕方が無いので、欲しくもなかったそのコチョウランを育てたが、水遣りや湿度の加減がやはり難しくて、ワンシーズンで枯らしてしまった。罪悪感だけが残った。私は、父と買い物に行くときはひとつの商品のところに立ち止まらないことを心がけるようになった。

たしか、中学生くらいのときだったと思う。物を買ってもらうことにはそのくらい神経質になっていたはずなのに、お前は物を買ってやるときしか感謝しないな、と、ある日何か言い争いをしたときに言われた。すごく理不尽だと思ったし、父親サイドからは私は、ただの物欲のかたまりの我儘娘というふうに捉えられているのだと感じて愕然とした。私と父親の関係はひとつしかない事実だけれど、それに対しての私サイドの見解と父親サイドの見解はまったく違うものであり、それらは対等以上の力関係にはならないことを実感した。二人きりの世界で、こんなに理不尽なのにどちらが悪いのでもないことになる。対等ならまだしも私が子供の分、私の見解の方が軽視され一蹴され、抹消されるんじゃないかと怖かった。それから今思えば変な話だが、欲しくない物を買ってもらって感謝しない自分を卑しいとも思った。

物の話ばかりになってしまったが、父親とは他にもいろいろな面で感覚が合わない。私の半分は父親のDNAでできていて明らかに同じ顔をしているのに、どうしてこうも違うものか。不思議なものだ。私の感性は母親寄りなのかもしれない。少なくとも、父親に見切りをつけている点は同じだ。母親に会ったことはないが、いざ会ったら超意気投合したりして。

私はそれまでまったく気にもしてこなかったのだが、彼氏が気になるというので最近、いまさらながら離婚の原因を聞いた。父親いわく、仕事が忙しくて母親にさびしい思いをさせたことが原因だったとのこと。だけど私から見れば父親は、他人の気持ちを読み取る能力が欠落している。だから離婚に関する父親のこの見解も、多分的外れなんじゃないかと思っている。母親に会って聞かないと、本当のところは解らないだろう。私にとってはいまさらどうでもいいことなのだが。

親と感性が合わないからこそ、私は真っ当に量産型にならないといけないと思った。けれど、このざまだ。私の現在の低迷が、親の問題に結び付けられるだけで虫唾が走る。親は関係ないと言うためには自立しないと。いくら関係ないと言おうと、私がこのざまでは、親は自分を省みる。

しかし、親のことを悪く言うなんて、普通は中二までだ。いい大人であるにも関わらず、自分の親に対していい感情を持っていない人間は、社会的にかなり損をする。
私は損をしている。でも受け入れるしかない。仕方の無いことだ。家族は選べない。運が少し悪いだけのこと。
  02:03 | 未分類 | Trackback:0 | Comment:7 | Top
 
 
 
 

絶滅危惧種

世の中には理不尽なこと、意識レベルの努力ではどうにもならないことが確実に存在する。しかし世の中には、人間は意志の力があればなんでも思い通りになると思っている人が多すぎる。これは怖いことだ。彼らはそういう錯覚で、無意識で平気で言葉の暴力をふるう。
そう思っている彼らが今日まで大きくつまづかなかったのは、彼らに気合いがあったからではなく、彼らの行いが正しかったからでもなく、単に運が良かったからに過ぎない。彼らが社会の標準範囲にどうにか収まる感性に生まれついたのも含めてだ。

一方で私は、言わば絶滅危惧種だと思う。感性が多分、標準から少しズレているし、しかも会話の技術がない。他人とそれなりに話をしているように一見は見えるかもしれないけれど、実は結構なエネルギーを使っている。私が気を抜くと、世の中の大半の人間と会話が成立しない。あっという間に話が噛み合わなくなるか、止まる。特に、自分の状態をうまく伝えるのが苦手だ。調子がいいときは自分を周りに理解してもらう必要はないし、相手に合わせて(見せかけのスタンスを相手に合わせるのではなく、チャンネルを合わせる)話を聞き出すことも楽しめるので、自分の話が伝わった気がしなくてもそんなに気にならないし困らないけれど。話が面白くて性格も悪くないと思う人は身の回りに時々見つかって、自分の話が伝わらなくて疎外感を感じるより相手の話の面白さが勝ることはあるので、そういう人とは積極的に話をしている。また、たまには、こんな私のことを気に入ってくれる人もいて、そういう人とも話をする。

だけど、一旦エネルギーが低下してしまうと、他人にチャンネルを合わせにくくなる。それに調子が悪いときは、周りに自分のことを理解してもらって然るべき環境を与えてもらわなくては落ち着けないことがあると思う。なので頑張って説明してみる。だけど元々、私の話はあまり伝わらない。具合の悪いときの他人との会話は、会話におけるマイナスの点しか残らない。そうなるともう、他人と話すほどに気分が落ち込んでいく。


最近いろんなことに疲れている。何かいい転機みたいなものがあればいいのかもしれないが、そんな変化を求めるのもエネルギーが要る。
大げさかもしれないけれど、本当に人間社会に辟易してしまっている。その中で正気で生きられない自分に絶望している。
周りに理解してもらえるように努力するのも疲れた。複数の人間が共に居る空間では、どうしても期待の押しつけ合いが生じる。自立を求められたりもする。それも一様な基準じゃなく、相手が求める内容の自立。エネルギーが低下してそういういき値を越えられなくなると、自分の世界にも閉じこもりきれない私みたいな性格の人間は居場所がなくなる。仕事をしないのは駄目だと言われているけれど現実的に無理だし、他人の扶養に入っている状態でそんなこと言われて追い詰められて自殺するのもばかばかしい。一番仕事したいのは私なのに。誰かに養われるよりどこか遠いところで生活保護でも受けて、何もせずひとりで静かに休みたい。

なにか精神的にフラットに生きられる方法はないものかと思う。仏門に入るぐらいしか思いつかないけれど私は宗教は嫌いだし、他にどうしたらいいだろう。やっぱり農業とかだろうか。思いつかない。
  16:02 | 未分類 | Trackback:0 | Comment:14 | Top
 
 
 
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rapis

Author:rapis
統合失調症を患う某地方国立大学・院2年生.。
専門は岩石の地球化学。




 
 
 
 
 
 
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