らぴすの日記

 
 
 
しがない女子大学院生のぐだぐだ日記。 有益な情報は皆無です。 ゆるゆる更新します。期待しないでね! 
 
 
 
 

ゴメンナサイ、は?

郵送してもらった診断書代を払い、もうここの精神科には通わないことを3年罹った元主治医に告げに行ったときのこと。

「診断書送ってそのあと来ないから、転院したとは思ってた」
と何故か感慨深げにうなずいていた。

「『僕には治してあげられなくてごめんなさい』
くらい言えないのか」
と思った。あのクソ袋。
てかそう言ってやればよかった。チキショーめ。

精神科医って、誤診でトンチンカンな処方したり、そのトンチンカンな薬で患者の時間奪ったり、そうして患者の人生メチャクチャにしといて、最後に「ゴメンナサイ」の一言さえも言えない理由が何かあるわけ?
「言ったら負け」ってだけなんじゃないの。死ねよ。
  23:59 | 未分類 | Trackback:0 | Comment:0 | Top
 
 
 
 

腹括れるか

福島から埼玉へ戻ってきた。

叔父の家にあんまり長居もできない(1ヶ月って十分長居か)。
今日、礼状とお礼の品を送った。

でも友達やいとこと少し遊べて楽しかった。
友達は金銭的にや生活上では頼りにしてはいけないけれど、昔と変わらず談笑するとそれだけでとても気持ちが明るくなる。友達が居るから、将来的にはやっぱり福島に住みたい。



休学中も大学近くでのアパートの家賃を払い続けてもらって居ることで、
「お父さんにおんぶにだっこのくせに、お父さんの悪口なんて言えないぞ」
と叔母に言われて、周りの人間を全員殺して自分も死にたくなった。

他の叔母に
「そんな雑音なんか気にするな、それに文句も言い合えないような親子でどうする」
と言われて確かにその通りだと思ったが、そういう雑音が気になるのはそれが自分の心の中にあるからだ。
それに私にとっては「社会から見られる自分」というのもかなり重要だ。親の脛かじって生きているなんて、周りに思われたくない。

そしてバンプファンさんに教えてもらった「心の鍵はかけたままでいい」という言葉じゃないが、私はこちらから父親に心を開いて衝突を繰り返してまで父親と親しくなりたい訳ではない。
私と父とはずっと離れて暮らしてきたし、一緒に居てストレスが溜まるのはむしろ当たり前なんだと思う。
父は何かにつけて「家族なんだから」とよく言うが、私にしてみれば家族だからってなんで言いたくないことも言わなくちゃいけないのかがわからないし、「家族であること」がもろもろの理由になる理由もわからない。

大学院を辞めてしまえばすべて解決するような気もしていた。
今時院卒なんて企業も遣いづらいだけだし、まともに大学院を修了したら私は30歳近くなってしまう。

大学院就学中でも休学中で収入がなければ生活保護を受けられるらしい。
生活保護を受けて就活するのはどうかと父親に言ったら、
「お父さんに迷惑かけるんじゃなくて社会に迷惑かけるなんて、お父さんの意地に賭けて許せない」
と言うので、
「娘の精神的安定より世間体の方が大事か」
と言ってやったら
「解ったよ、生活保護の書類でもなんでも持って来い!」
とキレていた。

しかし今の私は一人暮らし自体ができない。一日中寝ていて疲れやすい。
とにかく父親と縁を切って自立したいと主治医に相談したら、私はまず機能的にまだ一人暮らしができる状態ではないし、生活保護は安易に受けない方がいいし(なんでそう言われたのかは忘れたが)、居場所がないなら、そのうちグループホームに入るにしろ家を借りるにしろ保証人が必要だから、親が世話したがっているうちは利用すべきだと諭された。
それに今は職もないだろうと。就活で病状が悪化する可能性も大きいと。
でも「そのリスクを背負ってでもやるというなら止めれない」と言われた。

私はそれを聞いて、私は確かに自立したいはずなんだけれど自分は治りたいのかどうなのかよく判らなくなってきた。
私は父親憎さに意固地になって、生活保護とか言ってるだけみたいに見えても仕方ない気がしてきた。
本当は「まだ病気だから」、って医者に止めて欲しかったような気がする。甘えている。

それに「父親に心を開きたくない」などと言いながら、生活保護についてしっかり相談している。
生活保護には父親の経済的庇護放棄が必要とはいえ、こんなの書類上はいくらでも適当にできるんじゃないか。

統合失調症なんて慢性疾患なんだから、ある部分では腹の括りが必要なのかもしれない。
体調悪いのがデフォルトなんだから。自分のタイミングで踏み出さないといけないんだ。

だけど出来れば、私は何もかも放棄していたい。だから治りたくない部分もあるのだと思う。すべて放棄して消えたい。なるべく早く死にたい。人生なんて要らない。しかもこんな、他人より面倒くさい人生。(「生」を他人と比べることは間違ってるかな)

私が自殺しないのは、失敗しそうで怖いからだ。自殺するときは「ゴミ袋に入って樹海で首吊り」と決めて居るんだけど、根拠はないのだが私は失敗して生き残る人間のような気がするのだ。
神経系統をやられて自殺さえ出来ない身体になって、アウアウ言いながら車椅子で余生を暮らすと思うとゾッとする。

私は腹を括るのが早いか首を括るのが早いか。
どうなるんだろ。
  20:49 | 未分類 | Trackback:0 | Comment:4 | Top
 
 
 
 

相手の欲しい言葉なんて

直美さんが「ねえしのちゃん、死にたい、どうしたらいいのかなあ、死にたい」と繰り返すので、私はそういうときの自分なりの考え方を参考までに教えてみたつもりだったけれど、彼女が欲しかった言葉とは違ったみたいだ。

私は「直美さんは甘えたかっただけ」と言ったけれど、私だって人のことは言えないんだ。
元彼に、今の直美さんと同じようなことばかり言い、「甘えていただけ」と取られかねない発言を繰り返して居た時期があった。
私はあの頃どんな言葉が欲しかったんだろう。全然思い出せない。

「つらい思いをしただけ他人に優しくなれる」なんていうけれど、病気したからって、私は他人に全然優しくはなれていないな。別に優しくなくていいけど。
何も見えないや。

相手が欲しい言葉も分からないし、自分がかけたい言葉しかかけられない。




追記)
元彼に「甘えていた」ころの私は何か言葉が欲しかった訳ではなく、吐き出したかっただけだったのかもしれない。
互いに共感ができる相手の場合は共感しあっていれば良いのでともかく、相手はそんな話を聞きたくない場合はいい迷惑だと思う。悪いことをした。

返事に答えがない会話も困るし、答えがあってそれを遵守しなくちゃならない会話も困る。
  22:55 | 未分類 | Trackback:0 | Comment:4 | Top
 
 
 
 

お前が今便所に流したしょんべんは砂漠で行き倒れてる人なら死ぬほどほしがるぞ

「お前が無駄に過ごした今日は、昨日死んだ誰かが死ぬほど生きたかった明日なんだ」



kayさんのブログで読んだ記事に出ていた言葉なのだが、私もこの言葉が大嫌いだ。
これはバンプのボーカルが言った言葉で、急速に若者の間に広まったらしい。(追記参照)

だいたい他人様の生き方をよく「無駄」だなどと上から目線で言えたもんだと思うし、「昨日死んだ誰か」のことなんてしらねーよ。人の生き死にと自分の生き死には関係ないだろう。
大概の人間は、昨日生きていたから今日も生きてるだけなんじゃないのか。それの何が悪い。
「昨日死んだ誰か」も、死ぬほど切望して寿命が一日延びたからってどうなる。
それ以前にその「昨日死んだ誰か」が今日生きたかったとは限らないし。「今日」が無かった「昨日死んだ誰か」が可哀想かどうかなんて、他人が決めることじゃないし。それはテメエの勝手な感情移入だよ。

kayさんも言うように、この言葉を使って説教する人は相手に対して優越感を感じたいだけなんだと思う。または、「自分はいいことを言っている」と思いたいか。
私がもしそう言われたら、
「どっかで聴いたような言葉しか言えないんだね、人様の生き方侮辱してさぞかし気持ちいいだろうね」
と言い返してやりたい。

「辛さ」を他人と比べるのもおかしい。
世間的により重い苦しみに見える人を引き合いに出して、より軽く見える人の苦しみをないがしろにしてはいけないと思う。こういうことは周りが決めることではなく、「どちらも辛い」のだ。

病気の症状の重篤さについてもそうだ。
私の友人の一人に、統合失調症だけど非常勤で働いている子が居る。
ある日私は彼女に、「○○ちゃんは長い通院でかなり良くなってきているよね」と言った。
でも後から我に返った。彼女の病気が「良い」かどうかなんて、それは私が決めることではない。
統合失調症という病気としては私より確かに良い段階に行ってはいる(寛解している)彼女にも、彼女のステージの悩みがあるはずなのに、それを「かなり良くなっているよね」なんて表現した自分を、私はひどく恥じた。



余談なのだがこの言葉について調べていたら某巨大掲示板に行き当たり、

「こういう言葉に説得されちゃう人って『お前が今便所に流したしょんべんは
砂漠で行き倒れてる人なら死ぬほどほしがるぞ』って言われたら
流さずに飲むようにするの?
ごめん上手い例えが出てこない」

というレスを読んで壮大に吹いたwwww


11/20追記)
バンプファンさんがコメントで、「お前が無駄に生きた今日は〜」という言葉はバンプのボーカルが言ったのではない、ということを教えてくださいました。
バンプファンの人がボーカルの藤原さんの画像にこの言葉を入れた画像を作成したことで、誤解されて広まってしまった、とのことです。

だとしたらこの言葉、最初に誰が言ったんだ?
そいつの顔が観てみたい。
  21:55 | 未分類 | Trackback:0 | Comment:10 | Top
 
 
 
 

足りないってか、追っつかない。なんかどうでもよくなってきた

今私が自ら死んだら、私が与り知らないところの私が勝手に妄想され、侮辱され、憐憫され、汚される。

そういう私の死後の、周りの人間による私の人格の勝手な蹂躙に反抗するために文章を書いている節が私にはあったが、まだまだ足りない、というか追いつかない、というかあまりにもあまりにも追いつかないので、そして私にはボキャブラリーが足りないので、なんかもう最近どうでもよくなってきている。

私の不満はつまるところ全て、私の中にある。私の外の世界にでも他人の中にでもない。
何事も突き詰めると私は、私の存在そのものが不快なだけだという結論になる。
なんだ、この一言だけで説明がつくじゃないか。

他人と話しているときの自分は、本当の感情を顕している筈なのに道化だと思うことがある。
自分の言葉には中身なんてないし、どっかで聞いたような内容ばかりだったり、それにいまさらそんなに必死に他人に伝えたいことなんてあるのかも、良く考えると疑問。

他人と顔を合わせて会話していると、話に合わせて自分の顔にどこからか勝手に、瞬時に表情が飛んできて貼りついてくるような感じがして気持ち悪いことがある。その表情に主体性がある感じがしない。
こういうときコミュニケーションというものを、まるですべての人間が自分が自分にウソをついていて、それをダダ漏れにして垂れ流し合い、あたかも真実のように相手に伝え合っているだけのもののような気がしてくる。そういうことを考える自分が非常に気持ち悪い。

こういうことが意識にのぼるとき、早く消えて無になりたくなる。
私は死に憧れることで生きている。
生とは、意味のない営みの執拗な繰り返しだ。
死によって初めて、人間はそこから解放される。
だから、私が死んだら喜んで欲しい。ぜひ。

双樹ちゃんの言葉を借りるなら、「死後の世界は最後の夢」。
  00:43 | 未分類 | Trackback:0 | Comment:2 | Top
 
 
 
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rapis

Author:rapis
統合失調症を患う某地方国立大学・院2年生.。
専門は岩石の地球化学。




 
 
 
 
 
 
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